私と深海魚と世界と

おいさんが思うこと、感じてきたこと、色々。

心斎橋のHMVの話。

なんで私はラジオさん(仮名)に自分のことを話せたんだろう。

母に対しては夜が怖いという話しかしておらず、自分の心情を吐露することなんてなかった。というか、今まで誰かに自分のことを打ち明けたことなんてなかった。

多分、番組をずっと聞いていて、彼女なら自分を受け入れてくれるという確信みたいなものが生まれたんじゃなかろうか。もしかしたら、「誰か聴いてくれている人はいるのか」と不安に思うラジオさん(仮名)と真夜中に「誰かに見つけて欲しい」と願う自分に、何か重なる部分を感じたからなのかも知れない。

 

一度、ラジオさん(仮名)に会いたくて新アルバムの発売インストアライブを観に心斎橋のHMVに出かけたことがある。

心斎橋に行かれたことがある方ならお分かりになられると思うんですけど。いわゆるTHE都会じゃないですか。今も心斎橋に対しては「こんな田舎者がすみません。」っていう違った意味の気の重さは感じるけど、一体、当時の私はどんな心持で心斎橋に降り立ったのやら。ラジオさん(仮名)に会いたい一心だったんだろうなと、想像したら笑いがこみ上げてくるような、喉奥からさっき飲んだコーヒーが逆流してきそうな、なんかそんな感じ。

あの日はそう、インストアライブに母と一緒に行くってなってて。で、母が心斎橋に着ていく服がないからって昼過ぎぐらいに近所のアルプラザにバイクでブィーンと買いに行ったんだけどそこから全然帰ってこない。なんやねんなんやねん全然間に合わんって終わってまうってやばいってと一人で焦ってたらやっとこさ母が帰ってきた。聞くと、アルプラザの近くで事故ってこけて服が買えんかったって話やったんやけどとりあえず早よ、なんか事故ったって不吉なワードが聞こえたような気もするけど気にしない早よ行かないと終わるから早よってバタバタ出かけたのも良い思い出。

前日までは人が怖いし電車も怖いからどうしようかと気が気じゃなかったけど。間に合うか間に合わへんか(っていうか時間的には着いたら終わってるやろうなって時間)で焦りまくってたから前日の不安なんかはもう全部吹っ飛んで、OPAまでの地図を握りしめながらも兎にも角にもラジオさん(仮名)。ラジオさん(仮名)に会いたいって気持ちで心斎橋の駅からOPAまで走っていった。OPAなんて生まれて初めて来たから何があるとか全く知らなかったけど入ってみたらば服屋さんがいっぱいで、いらっしゃいませってお姉さんに声をかけられたけど生憎私はラジオさん(仮名)やからごめんなさいって道中の勢いもそのままにエスカレーターを駆け上がった。駆け上がっている途中、歌声が聞こえてきて涙で視界がぼやけたその先に、ラジオさん(仮名)がいた。

ステージの上でマイクを持って立っているラジオさん(仮名)が目に入った瞬間、涙がボロボロ出てきた。横を見たら母も泣いていた。HMVに入った瞬間に涙を流す母娘、曲は終わりかけで歌ってもいない、傍から見たら怪しすぎるけどそんなん知らん。安心したのと会えて嬉しいのとこれまでのあれこれが全部入り混じって涙が止まらなかった。曲が終わってラジオさん(仮名)がなんか喋ってる。途中から来たせいで状況が掴めなかったけど、機械トラブルでライブの開始時間が遅れたとのこと。そ、そんなことってあるの。奇跡なのかよ。関係者の方たちはトラブルで気が気じゃなかったかもしれない、でもそんなトラブルに心から感謝している情緒不安定な母娘がここにいるよ。ありがとう、ありがとうと思いながらまた泣いた。

最後です、と流れてきた曲は私の一番好きな曲。

あの時初めて歌手の歌唱というものを目の当たりにしたけど、すごかった。私がラジオさん(仮名)のことを好きだから贔屓目に聞こえるかもしれないけれど、でも本当に感動したんだから仕方ない。ラジオで「周りにな、歌詞はよう分からんって言われるねんけど声はいいよねって言われるねん。」って自虐的に喋っていたなと思い出す。歌詞もいいし声もいいよと思いながらもまた泣いた。歌っている途中、ラジオさん(仮名)と目が合った気がした。気づけばラジオさん(仮名)も泣きながら歌っていた。

ライブが終わった後、ラジオさん(仮名)が一人になるタイミングを見計らって声をかけに行った。何を喋ったのか覚えていないけれど、シャキラですと名乗ると嬉しそうに笑って「いつもありがとう。」と両手で私の手を包んでくれた。暖かかった。初めて会うラジオさん(仮名)はとても優しくて綺麗で、ラジオでの印象そのままだった。

 

次の回でラジオさん(仮名)の話は一旦終わりです。