私と深海魚と世界と

おいさんが思うこと、感じてきたこと、色々。

10years

心斎橋のHMV以降も、アメリカ村三角公園フェスティバルゲートの新世界ブリッジってライブハウス(今はどうなってるんだろうか)や京都のイオンなど、ラジオさん(仮名)が歌うと聞けばどこへでも(関西限定)出かけ。ラジオさん(仮名)の記事が出たと聞けば雑誌を買いに出かけて切り抜いてファイルに保存。火曜日はラジオ。と、私は文字通りラジオさん(仮名)中心の生活になった。

ラジオさん(仮名)と出会わなかったら一生行かなかっただろうなという場所が私には沢山ある。

ある日の夕方、何かの帰り道。急に胸が苦しくなって不安感が襲ってきた。病気なのなんなのと思っていたら、次の放送の時に「あと数回で番組終わります。」と発表があった。あれはいわゆる虫の知らせだったんだろうな。何にでも終わりは付いて回るものだけど、そんなことは知っているけど。ラジオさん(仮名)の番組だけは、終わって欲しくなかった。まぁ、番組は終わっても変わらず雑誌は切り抜いていたけれど。

 

ラジオ時代の名残か。あれから10年以上経った今でも、なにかあると「ラジオさん(仮名)に言わないと」という謎の使命感がむくむくと湧いてくる。

もしもラジオさん(仮名)の番組が今も続いていたのなら。

私には書きたいこと伝えたいことがいっぱいある。当時は外にあまり出ていなかった為、ラジオさん(仮名)にお便りを出すにしても話題があんまりなかった。例えば、さくら(うちの犬)の話や金木犀の匂いがすごい、といった閉じられた世界の周りで起こった小さい出来事。今だったら何を言おうか。デリッシュキッチンとファーストキッチンを間違えたことか。あれ、でも今思うと全く面白くない。結構笑った気がするけど一体何がそんなに面白かったのか。思い返してみても分からない。いや、大抵そんなものなのか。ラジオさん(仮名)ごめんなさい。今も昔もそんなに変わらないみたい。

 

タイトルの「10years」はラジオさん(仮名)が私のお便りを初めて読んでくれた時にかけてくれた曲。渡辺美里さん。「My Revolution」もかけてくれたな。思い出。

 

あの時ラジオさん(仮名)に出会わなかったら、今の私はない。

こんな私を見つけてくれたこと。受け止めてくれたこと。感謝の気持ちを。

私は死ぬまで忘れないだろう。

あなたのような人間になりたい。私はその思いで今もここにいる。