私と深海魚と世界と

おいさんが思うこと、感じてきたこと、色々。

悔やんでも悔やんでも、って。

定時制高校に通っていた頃の話の続き。

 

夏休み期間中から初めてのアルバイトを始めた。

倉庫でのピッキング作業。ラベルを機械で読み取って指定された商品を選んではひたすら箱に詰めていく、というもの。周りは私よりも年上(一緒ぐらいの年の子も居たことは居たけど少なかった)の人達。主婦さんたちが多かった。

最初は緊張し過ぎて体のいたる所から変な汗を掻いていたんだけど、働いている人たちは(同じ部署の人だけで20人ぐらいはいたのかな)みんなとても優しくて、すぐに仕事にも慣れることが出来た。私が定時制高校に通っているという事情も良く理解してくれていて、どれだけ仕事が多くて時間内に終わりそうもないやろって日だとしても、15時ぐらいには絶対に退勤させてくれて笑顔でいってらっしゃいと見送ってくれた。その職場には、高校卒業後に通信制の大学に通い始めて少し経つってぐらいまで働いていたから、3年ぐらいは居たのかな。今思い返しても、ものすごく恵まれた環境だったなと思う。

仕事を辞めてから7,8年以上経った今でも、少人数だけど年に一回は飲み会が開催されている。有難いことに声をかけて貰えて、予定が合い次第私も行くんやけど毎回自分の年齢を言う度に、えええええと驚かれる。

いやいや漫画の世界じゃあるまいし、そら私も年取るよって。なんかごめんやって。

 

 

夏休みが終わって少し静かになった教室。

その中で私はモニカさん(仮名)以外の人とも少しづつ話すようになっていった。それでも、一番モニカさんの近くが落ち着くし安心できるので、私はモニカさんとずっと一緒に居た。通信の課題を見せてとお願いされて、自分のやったものをよく見せて(あかんけど)いた。モニカさんのお家にもよくお邪魔していた。その時にメキシコ料理もご馳走になっていた。タコス、美味しかった。

あれ。モニカさんと一緒にスーパーへ行く度に「あんまり見かけないものなんやけど、ないとちゃんとしたメキシコ料理にならんねん。」と言っていた重要な香草の名前が思い出せない。パクチーやったかコリアンダーやったか。なんかそれ系の葉っぱ。モニカさんのお料理を食べた時に初めて食べたんやけど。独特の匂いのやつ。うあー分からん。

 

2年生の終わりか、3年生になったばかりの頃。

モニカさんが「足の痛みに耐えられない。授業中座れない。痛くて頭も回らないし、他にも理由はあるけれど。学校を辞めようと思う。」と悩んだ様子で打ち明けてきてくれたことがあった。それを聞いた私は動揺して、モニカさんが辞めるなら私も辞めようかなと返し、二人で担任の先生に相談しに行ったことがあった。

モニカさんは、自分が辞めたらルイゼさんが心配。ルイゼさんも辞めるって言ってるしどうしよう、という話をして。それを聞いた担任の女の先生は、それならしょうがないですねーって、私たちの深刻さとは対照的に軽く受け止めた。私たちを学校に引き留める様子も努力も何も見せなかった。それってどうやねんと今は思わんでないこともないけれど。当時の私は、あー、この人は私たちが辞めようが何も感じないんだなと感じて少し、いや、だいぶ傷ついた。定時制の先生の中でも好きな先生だったから余計に。

職員室を出て、モニカさんとしばらく何も喋らずに歩いていて。その後どういう会話をしたのかは覚えてないんだけど。結局モニカさんは学校を辞めずに卒業するまで私と一緒に居てくれた。多分、自分が辞めたらルイゼさんも辞めてしまうことになるし、学校の先生にも頼ることは出来ないって感じたからだろうなと思う。

 

もし当時の私がもっと強かったのなら。

モニカさんに対して「学校より身体の方が大事なので、私のことはどうか気にせず、しんどいのなら学校を辞めて下さい。」と言えたかもしれない。そしたら、モニカさんの症状もまだ軽いままだったのかもしれない。それなのに、弱い私はモニカさんから手を離すことが出来なかった。モニカさんの症状がどんどん酷くなるの苦しんでいるのを知りつつも自分かわいさに見ないふりをして、その最たる原因である学校に留まらせてしまった。

消せない。私の罪。

 

続きます。次で定時制高校の話は一旦終わる予定。