私と深海魚と世界と

おいさんが思うこと、感じてきたこと、色々。

前略、モニカ様。

3年生の夏休みに入る前。

授業態度の良かった私(周りの騒がしさのおかげで普通に授業を聞いてぼーっとしているだけの私が良く見えてた)は国語の先生に気に入られ、秋の生活発表会に出てみないかと誘いを受けた。何人か他の学校(定時制通信制の学校だったような)からも集まってホールで自分の体験を発表するというもの。少し悩んだものの、国語の先生も好きやったし、モニカさん(仮名)にも背中を押される形で発表会へ出ることに決めた。

 

モニカさんとラジオさんのことを書いた。放課後に原稿を読む練習を何回もした。

 

そして当日。

私はスーツを着てホールに向かった。その時のパンプスも例の如くめっちゃ痛くて靴擦れを起こしながらも何とか辿り着いた。頑張った。

会場にはモニカさんも来てくれた。

ライトに照らされた壇上に上がって周りを見渡すと、心なしか心配そうに、だけど優しく私を見つめてくれる大好きなモニカさんの顔を見えた。こみ上げてくるものをぐっと我慢しながら、私は原稿を読み始めた。

 

一部伏せたり変えたりしていますが、以下原文です。

 

『 前略、モニカ様。

 夕方は人が多い。前から同級生らしき人がスーツ姿で歩いてくる。逃げ出したい気持ちを抑え、顔を隠すようにすれ違う。大丈夫。私にだって行くところがある。モニカさんが私を待っている。

 モニカさん、あなたに出会うまでのことを少しお話ししましょう。

 私は15才から20才までをほとんど家で過ごしました。昼過ぎに起き、掃除をするのが日課でした。夜は眠れず、いつも泣いてばかりいました。外へ出ようにも、何もしていない私に資格はないと、足がすくみました。私は誰からも必要とされていない・・・。苦しかった。

 テレビの深夜放送が終わると、画面が砂嵐になります。途端に世界との繋がりが絶たれた様に感じるのです。この世に私以外存在していないのではないか。私にとって深夜は恐怖でした。

 夜を怖がる私をみかねて、母がラジオを薦めてくれました。偶然聞こえてきた女性の言葉に不思議と引き込まれました。あまり売れてはいない歌手のようでした。彼女はいつも番組を聴いてくれている人はいるのかと心配していました。その言葉に、私は共通する何かを感じたのです。綺麗ごとではない彼女の誠実な言葉にひかれ、私は意を決して手紙を書きました。その手紙を彼女は番組で読んでくれました。嬉しかった。誰かと言葉で通じることの素晴らしさに私は気づいたのです。

 変わりたい。もし、高校を卒業する事が出来たら、存在する事にずっと後ろめたさを感じている自分でも、何か変われるんじゃないだろうか。ラジオの方も「やろうと思った時がその時」と励ましてくれました。そして、私は〇〇高校定時制を選びました。そこで、モニカさん、あなたに出会ったのです。

 モニカさんの存在に初めて気づいたのは入学説明会の時でした。私は、こんな多くの人のいる場所に通えるのかという不安で、入学した事を後悔し始めていました。その時、モニカさんが視野に入ったのです。外人さんをあまり見た事のない私は驚きました。しかし、すぐにこの人も私と一緒で不安なんだろうなと思い、少し安心した様な気持ちになったのです。その後、私達は身体測定をきっかけに、行動を共にする様になっていきました。

モニカさんはメキシコ出身です。10代で結婚をして、日本に来られました。嫌な目にもたくさんあわれました。モニカさんは体があまり丈夫ではありません。しかし、誰よりも前向きです。そして、語られる言葉はいつも力強い。モニカさんに出会うまでは、家の中が私の世界の全てでした。それが、忘れられない体験、今までに出会った人々、メキシコでの生活。モニカさんに会わなければきっと知るはずがなかった話を聞くうちに、私は自分の世界、考え方がどんどん広くなっていくのを感じました。

 自分から話す勇気はありませんでしたが、モニカさんの傍で他の人達の言葉に接することが出来るようになりました。定時制高校に通っている人達は、年齢や職業もバラバラなので、あらゆる言葉が飛び交います。その中には人を簡単に傷つけるような言葉もありました。聞くに堪えない不快な言葉もありました。けれども、優しい、温かな言葉もそこにはあったのです。

言葉の渦の中で、私は、言葉は人だと実感しました。言葉の背後にその人の、「生」が在るのです。定時制高校に通う誰もが皆、何かを背負って生きていると私は気付くようになりました。私だけではない。人は大きい不安を抱きながらも精一杯生きているのです。

「やろうと思ったときがその時」の言葉に背中を押され、飛び込んだ〇〇高校定時制で、私はモニカさんと出会い、生の声、つまり人と出会うことになったのです。

「その時」からもう、2年半が過ぎようとしています。

モニカさんは病気に負けずに勇気を出し、手術を受けられ、強い向学心を持ち、活躍しておられます。

私は、家に居た頃から成長する事が出来たのでしょうか?いつもいつも、私は自分に問いかけています。少しも成長していないのではないか、という考えにたどり着く日もあります。これから先の事を考えて不安になる日もあります。しかし、少なくとも砂嵐の世界から生の声が飛び交う世界へ、私は踏み出す事ができたのです。今では働くことも出来るようになり、当時では考えられないくらいのたくさんの人達と関わりながら、毎日を過ごしています。

まだ、自分の在り方に対して答えはでていません。それでも、高校を卒業した後、大学で言葉を研究し、そして教員免許を取り、また定時制高校に帰ってきたいという夢ができました。

私はこれからも、「やろうと思った時がその時」という言葉を信じて進んでいきたい。いつか同級生とすれ違う時、顔を上げてすれ違えるように。

モニカさん、あなたに出会えてよかった。これからも、私に勇気を下さい。』

 

発表会が終わった帰り道。

モニカさんに「とても良かった。ルイゼさんの言葉には何かがある。だけど、先生に導かれて書いたものじゃなくて今度はルイゼさん自身のルイゼさんだけの言葉で自分の体験を形にして欲しい。」と言い。続いて「私の経験してきた話もいつかルイゼさんに形にして欲しいわ、そしたら二人でお金持ちよ。」と笑ってモニカさんは言った。

 

言われてすぐはピンと来なかった(もっと褒めてもらえると思っていた)けれど、後から気づいた。

私は、本当はラジオさんのことをもっと書きたかった。だけど先生に言われるままにモニカさんとラジオさんのことを中途半端に取り上げ、書いてしまった。

 

モニカさんは、私が書きたかったことは他にあるのだと先生や自分自身すらも気づかなかったことをすぐに見抜き、今度はルイゼさんが書きたいように書いて欲しい、私はそれが読みたいのだと言ってくれたのだった。その時の言葉がずっと私の中でくすぶっていて、このブログを作るきっかけの一つにもなった。

本当に、モニカさんには頭が上がらない。

 

それからあっという間に卒業の日を迎え、私とモニカさんは少しづつ離れていってしまった。だけど、私はモニカさんのことを忘れた日はない。いつも心の中にいる。

今は忙しくて会えないけれど、いつか絶対。会えたらまず何を話そう。

メキシコ料理に使う香草のことでも聞いてみようか。