私と深海魚と世界と

おいさんが思うこと、感じてきたこと、色々。

夜と光のキラキラ感。

川上未映子さんの書く夜と光にまつわる描写がとても好きだ。と声に出して伝えたい衝動。

 

未映子さんの作品「すべて真夜中の恋人たち」。その冒頭場面での冬子と三束さんのやり取り。そのキラキラ感をご存知ですか。キラキラし過ぎて目を背けたくなるレベルのキラキラ感。誰かも評していたと思うのだけど、未映子さんはなんでこんなにも美しい表現が出来るんだろうと思う。

 

未映子さんの作品に「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」というものがあります。表題の作品を含めた詩集。初期の頃に出版されたものです。表題でもある「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」(以下先端)を初めて読んだのはいつやったか。後ろの方をちらっと開くと初出が2005年11月のユリイカ。外で購入してきたユリイカを家で開いた時の衝撃は忘れられない。読みづらい。首の辺りをまとわりつくようなねばつくような文章はなに。読むことが苦痛に感じるだなんて生まれて初めて。ああ読みづらいでしかない、でも、ここに書かれているものは私もよく知っている感覚だということもなんとなく理解出来て、という感じ。「先端」はそう、難しい部分が多かった(何回か読むうちに慣れ始めて好きになっていった)んですが、その印象が一変したのが2014年にマームとジプシー、青柳いづみさんが一人で「先端」を演じているのを観た時。爆音の中マイクを片手に「先端」の詩を叫ぶ、叫ぶというか絶唱しているのを観た時。初めて出会った時あれほど難解だった言葉たちがスルスルと私の中に入っていくのを感じた。ああ、これが「先端」を表現する一番の方法なんやと頭の上から答えが降ってきて急に全てが理解できたような感覚。あまりのことに涙が出た。京都と大阪の二公演に出向いて、「先端」以外のものも観て。観て、そのどれもがすごい熱量をもっていたのだけど(マームとジプシーは、青柳さんは本当にすごい)一番気に入ったのは「先端」だった。今「先端」を読んでみたけど、脳内で再生されるのは青柳さんの声だ。「先端」の詩のイメージが固定されてしまうくらい青柳さんの「先端」は衝撃だった。

ああ「先端」に思い入れがあり過ぎて話が大分逸れてしまった。「先端」の中の「告白室の保存」について私は書きたかったんだ。「先端」についてはまた今度の機会に詳しく書きます。

 

「告白室の保存」は彼氏と彼女の独白(違うかもしれない)という内容。その最後の「類似」の項の詩が、すごいすごい私は好きで。たまに本棚から「先端」を引っ張り出してきて「類似」の所だけを読むっていうのを何年もしている。「類似」の項の詩には夜と光と言葉にまつわること、その描写があるんですが。もう本当に美しい。多分、違ってたら恥ずかしいけど、「告白室の保存」の「類似」から世界を広げていって「すべて真夜中の恋人たち」は創作されたのではと私は勝手に思ってる。そのくらい、二つの世界には通じるものがある。

例えば、(引用って項目があるのやなぁ今知った)

あるいは手の中でなくても、言葉はいつも光と一緒にあるのだから、顔をあげてみれば雨のこまやかな粒子の震えの中に、信号機が赤く、青く、丁寧ににじみながら光っていて、少しづつ広がってゆこうとするその光の輪郭の成分を、くいいるように見つめながら、光がある、ここにも、あそこにも、と言葉にして、指を示して、見渡せば、冗談みたいにあきらかに、まったく、夜の中は光しかないのです。

これは、伝わるのやろうか。引用してて不安になってきた。「類似」の項全部引用するわけにもいかないし。伝わらなかったらごめんなさい。「すべて真夜中の恋人たち」と「先端で、さすわ さされるわ そらええわ」を手に取って読んでいただきたい。それらに流れる夜と光のキラキラ感を是非とも。「類似」の最後の部分とか特にたまらん。