私と深海魚と世界と

おいさんが思うこと、感じてきたこと、色々。

「ぼくの短歌ノート」

先日、誕生日でした。

自分が生まれた日だなんて全くおめでたくもないけれど、みんなにおめでとうおめでとうとお祝いされると、やっぱりなんだかんだで嬉しいものでした。ああ、こそばゆかった。31歳ってもっと大人なイメージだったけど、そんなことない。中身も変わらんし、このまま年だけ取っていくのかと考えると一瞬目の前が真っ暗になったような気がするけど気にしない。お祝いして下さった方、ありがとうございました。

 

久々に本を購入しました。穂村弘さんの「ぼくの短歌ノート」の文庫版。

穂村さんによる近現代から投稿歌までの短歌評論。最近本が読めないくらい(2,3ページ読んだらいつの間にやら意識が飛んでる)疲れてるんですが、「ぼくの短歌ノート」はそんな私の疲れや眠気などをひっくるめて一気に短歌の世界に引き込んでしまうほどの力を持っており。読み終わった後はさすが穂村さんやなぁって何目線か分からん独り言をつぶやいてしまうくらい、おもしろかったです。自分は知識も浅い(短歌は五七五七七、俳句は五七五だということしか知らない)んで穂村さんみたいに短歌について深く考察することは出来ないんですが。文字の羅列から自分なりに五七五七七を見つけて(破調も含めて)おおってなって、穂村さんの解説をよんでまたおおおってなってもう一回短歌を読み直すっていう一連の流れが好き。気に入った作品は何回も目でなぞって焼き付ける。短い文字の中でこれだけの意味のものを表現できるのがすごい。短歌の「これを表現するにはこの文字の組み合わせでこの並びなんだぜ」っていう完全感絶対感。かつリズミカルで声に出して読んでみたくなる感じ。こんなん作れる人達はすごい。どんな頭の作りをしているんだろう。憧れる。

 

穂村さんの短歌の本ってことはもしかしたらと期待してたらやっぱり載ってた。

 

「呼吸する色の不思議を見ていたら「火よ」と貴方は教えてくれる」 穂村弘

 

私が穂村さんに最初に触れたきっかけとなった作品(未映子さん経由で知ったのかなんだったのか忘れてしまった)です。なんやこれなんやこれ短歌なのこれ短歌なの?やばいやばいって軽く混乱してしまうくらい衝撃を受けた作品。好き。この短歌に流れる優しい空気、安心感の正体はなんなんやろう。いや私ね、周りからしっかりしてそうって言われるんですけど見た目だけで中身は全くしっかりしてないし本当にポンコツで、だからこそこの歳になって結婚の予定も無く相手も無く、人生終わってる感満載なんですけど。なんやろう。今さら相手に特に理想もないけれど。強いていうなら。強いていうならこう、ぽーっと火を見ていて、何やってんねん危ないやろが頭おかしいんちゃうかってグワーって怒って引き剥がすような人じゃなくて。こんな風に優しく物事を諭してくれて一緒にずっと火を見てくれるような、全てを包み込んでくれるような人と私は結婚したい。おらんか。そもそもよ。こんなポンコツ誰も貰ってくれへんくれへん。

 

「ぼくの短歌ノート」の中で気に入った作品は他にもたくさんあるんですが。きりがないのでもう一作品だけ。

 

「わが使ふ光と水と火の量の測られて届く紙片三枚」 大西民子

 

水道光熱費の請求書が来たってだけの内容なんだけど。なんなん。かっこよすぎてクラっとした。